応援団やサムライうさぎについて。あとはアニメ三国演義の歪曲感想とか。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
京極堂シリーズ魍魎の匣がアニメ化だそうで。どうせウチの地域じゃあやらねえんだろうと思ったら案の定放送してなかった。
だから悲しさをまぎらわすためにシリーズを一から読み直しています。
御存じの通り京極堂シリーズはレンガ本やらブロック本と呼ばれる分厚さだ。なので読むと腕が疲れて大変。
そんなふうにお困りの皆様のニーズに答えて、かどうか知らないけど、京極堂シリーズは文庫化の際、一冊を数冊に分けて出版したようですね。
すでに持っているけど持ち歩く用にいいかなあ、と文庫本買おうかと思ってたけど同じ本がいくつも部屋にあるのもなあ。
購入はとりあえず見送って姑獲鳥から始め、せっせと狂骨の夢まで読み進めた。次は鉄鼠だ。
それで姑獲鳥を読み返してみて、ふと思うところあってちょっとサイトを回ってみた。
以下姑獲鳥の夏を知らない人はスルーで。
だから悲しさをまぎらわすためにシリーズを一から読み直しています。
御存じの通り京極堂シリーズはレンガ本やらブロック本と呼ばれる分厚さだ。なので読むと腕が疲れて大変。
そんなふうにお困りの皆様のニーズに答えて、かどうか知らないけど、京極堂シリーズは文庫化の際、一冊を数冊に分けて出版したようですね。
すでに持っているけど持ち歩く用にいいかなあ、と文庫本買おうかと思ってたけど同じ本がいくつも部屋にあるのもなあ。
購入はとりあえず見送って姑獲鳥から始め、せっせと狂骨の夢まで読み進めた。次は鉄鼠だ。
それで姑獲鳥を読み返してみて、ふと思うところあってちょっとサイトを回ってみた。
以下姑獲鳥の夏を知らない人はスルーで。
「はたして関口は過去に恋文を届けに行ったとき、涼子を陵辱してしまったのか?」について他の読者はどう思ってんだろうと、あらためて気になった。実際関口が自分で告白しているので、陵辱してしまったのでは、という意見もあり違うだろうという意見もあった。初見では私も「ああ、関君やっちゃったのかー」と思ってたけど、後でやっぱり違うと思ったんだよなあ。
読者の意見が別れてしまう原因は、関口の記憶だけが頼りで直接描写がないから。姑獲鳥は関口の一人称(主観)で進むので、客観的な事実は分からないんですよ。
また作中では繰り返し何度も「自分が確実に経験したと思っていた過去を、実は脳がいい加減に造り出したものだとしても、自分ではそれが虚か実なのか分かる方法はない」というような台詞が形を変えて出て来る。脳が見せる仮想現実と、現実の区別は自分では絶対につけられないのだと。
そんな作品の主題のひとつに鑑みると関口の「私は涼子を犯した」という台詞は、単なる関口の思い込みということもありえる。
じゃあ本当はどうなんだよ、となるのですが、関口の見た夢が答えになってますよね?と私は思うワケで。それは関口が榎さんの探偵事務所で涼子と出会った日の夜(かな?)に見た夢です。その夢を簡単に追ってみると以下の流れになる。
*****
関口は女に手を引かれて、海岸か荒野のような所を歩いている。そこではお祭りがもよおされ夜店も出ている。
女は夜店を見ながら「ほら、きれいでしょう?」と関口に話し掛けるのだが、関口は少し離れた場所にいる黒衣の僧侶の方が気になっている。
すると女は関口の態度に腹を立て、折檻をするという。でも関口は自分は悪い子なので、それも仕方ないと思う。
女は関口の頭を地面に押さえ付け、鬼のような声で何かを言っているが関口は砂が耳に入って来てよく聞こえない。
関口が首を曲げると女の白い脛が見えてしまい、でも見てはいけない気がして顔をそむけようとするのだが、女の力が強く、それがかなわない。
この時近くにいた僧侶が手に持った錫杖を掲げて「こんなこともある」という。そして錫杖の先には人間の嬰児が突き刺さっていた。
そんな僧侶が気に掛かり眺め続ける関口。女はいよいよ腹を立て、関口を置いて夜店の中へと入って行く。そこでは下品な色の布やアフリカの蛙を売っている。
どんどん先に歩いて行ってしまう女。関口は心細くなって女の名を呼ぼうとするのだが、どうしても呼びかたを思い出せない。
口ごもる関口が気に入らず、ふたたび女は関口を折檻する。女の襟元から白い胸が覗いて、関口はやはり見てはいけないと思い女の腕から逃れる。
以上が関口の夢の流れ。そして関口は夢から覚め、あの女の呼び方を思い出す。
「かあさんだ」
しかし違和感を覚えて「久遠寺涼子」と言い直す。
この夢は関口が藤牧から、かならず本人に渡すよう託された(本来は梗子へ渡すべき)恋文を涼子へ渡してしまった時のことが元になっていると思います。関口はこの時に涼子を犯してしまったと考えているようですが、夢と照らし合わせみると本当は以下のようになるのではないでしょうか。(夢の部分は青文字)
関口は女に手を引かれて、海岸か荒野のような所を歩いている。そこではお祭りがもよおされ夜店も出ている。女は夜店を見ながら「ほら、きれいでしょう?」と関口に話し掛ける。
→ウロ状態で淫蕩な別人格になっていた涼子が「学生さん、あそびましょう」と関口を淫らな遊びに誘う。
だが関口は少し離れた場所にいる黒衣の僧侶の方が気になってしまう。
→僧侶は関口の倫理観や道徳観のあらわれ?
すると女は関口の態度に腹を立て、折檻をするという。でも関口は自分は悪い子なので、それも仕方ないと思う。
→誘いにのらない関口に涼子は苛立ち、自分の方から迫る。
女は関口の頭を地面に押さえ付け、鬼のような声で何かを言っているが関口は砂が耳に入って来てよく聞こえない。関口が首を曲げると女の白い脛が見えてしまい、でも見てはいけない気がして顔をそむけようとするのだが女の力が強く、それがかなわない。
→関口にのしかかった涼子は狂態に陥り何やかやと叫ぶ。そして涼子の脛がスカートから見えてしまうのだが、関口は見てはいけないと思う。
この時近くにいた僧侶が手に持った錫杖を掲げて「こんなこともある」という。そして錫杖の先には人間の嬰児が突き刺さっていた。
→このまま誘いにのって性行為に及べば子供が出来る可能性がある(涼子は経血を流していたので、妊娠可能だと関口は分かっている)。そして子供が出来ても当然幸せな出産とはいかないので堕胎することになる。
そんな僧侶が気に掛かり眺め続ける関口。
→関口は涼子から誘われて葛藤するが、倫理観により自分にストッパーをかける。
女はそれが気に入らず今度は関口を置いて夜店の中へと入って行く。そこでは下品な色の布やアフリカの蛙を売っている。
→思うままにならない関口に腹を立てた涼子は、古書のある例の小部屋へと立ち去ろうとする。
どんどん先に歩いて行ってしまう女。関口は心細くなって女の名を呼ぼうとするのだが、どうしても呼びかたを思い出せない。
→おそらく恋文を渡せていない関口は、涼子の後を追うのだが何と呼び止めていいのか分からない。
口ごもる関口が気に入らず再び女は関口を折檻する。
→誘いにのらないくせについて来る関口に、涼子は苛立ち再び迫ろうとする。
女の襟元から白い胸が覗いて、関口はやはり見てはいけないと思い女の腕から逃れる。
→先程よりも大胆に迫る涼子に、関口はもはやどうしてよいかも分からず逃げ出す。作品の最後の辺りで恋文は涼子が持っていたと分かるので、この時関口は恋文を置いて逃げたのかな。
*****
涼子と出会って起きた一連の出来事は、関口にとって今まで経験したことのない異常事態で、おまけに託された恋文も放り出すように逃げてしまった。あの少女が友人の思い人だとしたら自分は何てことをしてしまったのだろう。すっかり鬱状態になった関口はあの日の出来事をタブーとして封印した。
そして月日が経過し涼子と再会した関口は封印した記憶が徐々に蘇るのだが、脳が造り出した仮想現実と現実がない交ぜになってしまい、自分が涼子を犯してしまったのではないかと錯覚したのではないかと。
だって涼子は関口に対して「自分を性的虐待にあわせていた菅谷から救いに来てくれた人」という認識を持っていたもの。もし関口に犯されていたら、そんなふうに思ったりしないだろうし、自分の誘いにのらなかったことで「この人なら……」と一縷の希望が生まれたんじゃないでしょうか。
だから涼子も恋文の返事を送って、あの夜に待ち合わせをした。きっと関口が来てくれると願って。
だけどそんな日は訪れなかった。やがて涼子は不運と古い因習にのみ込まれていってしまう。それでも生きていかなくてならない涼子は、新たな人格を造り出して耐え続ける。
自分が自分でなくなる時間が増えていく恐怖。涼子はあの日からずっと関口を思っていたのでしょうかねえ。いや、ただただ我が子を慈しむ「普通」の母親になりたかったのでしょうか。
まあ、これもひとつの考えというコトで。受け取り方は人それぞれだ、と京極さんも明確な答えは出していないそうですし。
最後に作中の言葉を引用。
涼子
──私はあの夜あなたを待っていたのです。
──私を──助けてください。
──本当の私は、今の私です。
関口
本当のあなたは誰なのですか。
私は何をすればいいのですか。
私はあなたに何をしたのですか。
「おかあさん」
読者の意見が別れてしまう原因は、関口の記憶だけが頼りで直接描写がないから。姑獲鳥は関口の一人称(主観)で進むので、客観的な事実は分からないんですよ。
また作中では繰り返し何度も「自分が確実に経験したと思っていた過去を、実は脳がいい加減に造り出したものだとしても、自分ではそれが虚か実なのか分かる方法はない」というような台詞が形を変えて出て来る。脳が見せる仮想現実と、現実の区別は自分では絶対につけられないのだと。
そんな作品の主題のひとつに鑑みると関口の「私は涼子を犯した」という台詞は、単なる関口の思い込みということもありえる。
じゃあ本当はどうなんだよ、となるのですが、関口の見た夢が答えになってますよね?と私は思うワケで。それは関口が榎さんの探偵事務所で涼子と出会った日の夜(かな?)に見た夢です。その夢を簡単に追ってみると以下の流れになる。
*****
関口は女に手を引かれて、海岸か荒野のような所を歩いている。そこではお祭りがもよおされ夜店も出ている。
女は夜店を見ながら「ほら、きれいでしょう?」と関口に話し掛けるのだが、関口は少し離れた場所にいる黒衣の僧侶の方が気になっている。
すると女は関口の態度に腹を立て、折檻をするという。でも関口は自分は悪い子なので、それも仕方ないと思う。
女は関口の頭を地面に押さえ付け、鬼のような声で何かを言っているが関口は砂が耳に入って来てよく聞こえない。
関口が首を曲げると女の白い脛が見えてしまい、でも見てはいけない気がして顔をそむけようとするのだが、女の力が強く、それがかなわない。
この時近くにいた僧侶が手に持った錫杖を掲げて「こんなこともある」という。そして錫杖の先には人間の嬰児が突き刺さっていた。
そんな僧侶が気に掛かり眺め続ける関口。女はいよいよ腹を立て、関口を置いて夜店の中へと入って行く。そこでは下品な色の布やアフリカの蛙を売っている。
どんどん先に歩いて行ってしまう女。関口は心細くなって女の名を呼ぼうとするのだが、どうしても呼びかたを思い出せない。
口ごもる関口が気に入らず、ふたたび女は関口を折檻する。女の襟元から白い胸が覗いて、関口はやはり見てはいけないと思い女の腕から逃れる。
以上が関口の夢の流れ。そして関口は夢から覚め、あの女の呼び方を思い出す。
「かあさんだ」
しかし違和感を覚えて「久遠寺涼子」と言い直す。
この夢は関口が藤牧から、かならず本人に渡すよう託された(本来は梗子へ渡すべき)恋文を涼子へ渡してしまった時のことが元になっていると思います。関口はこの時に涼子を犯してしまったと考えているようですが、夢と照らし合わせみると本当は以下のようになるのではないでしょうか。(夢の部分は青文字)
関口は女に手を引かれて、海岸か荒野のような所を歩いている。そこではお祭りがもよおされ夜店も出ている。女は夜店を見ながら「ほら、きれいでしょう?」と関口に話し掛ける。
→ウロ状態で淫蕩な別人格になっていた涼子が「学生さん、あそびましょう」と関口を淫らな遊びに誘う。
だが関口は少し離れた場所にいる黒衣の僧侶の方が気になってしまう。
→僧侶は関口の倫理観や道徳観のあらわれ?
すると女は関口の態度に腹を立て、折檻をするという。でも関口は自分は悪い子なので、それも仕方ないと思う。
→誘いにのらない関口に涼子は苛立ち、自分の方から迫る。
女は関口の頭を地面に押さえ付け、鬼のような声で何かを言っているが関口は砂が耳に入って来てよく聞こえない。関口が首を曲げると女の白い脛が見えてしまい、でも見てはいけない気がして顔をそむけようとするのだが女の力が強く、それがかなわない。
→関口にのしかかった涼子は狂態に陥り何やかやと叫ぶ。そして涼子の脛がスカートから見えてしまうのだが、関口は見てはいけないと思う。
この時近くにいた僧侶が手に持った錫杖を掲げて「こんなこともある」という。そして錫杖の先には人間の嬰児が突き刺さっていた。
→このまま誘いにのって性行為に及べば子供が出来る可能性がある(涼子は経血を流していたので、妊娠可能だと関口は分かっている)。そして子供が出来ても当然幸せな出産とはいかないので堕胎することになる。
そんな僧侶が気に掛かり眺め続ける関口。
→関口は涼子から誘われて葛藤するが、倫理観により自分にストッパーをかける。
女はそれが気に入らず今度は関口を置いて夜店の中へと入って行く。そこでは下品な色の布やアフリカの蛙を売っている。
→思うままにならない関口に腹を立てた涼子は、古書のある例の小部屋へと立ち去ろうとする。
どんどん先に歩いて行ってしまう女。関口は心細くなって女の名を呼ぼうとするのだが、どうしても呼びかたを思い出せない。
→おそらく恋文を渡せていない関口は、涼子の後を追うのだが何と呼び止めていいのか分からない。
口ごもる関口が気に入らず再び女は関口を折檻する。
→誘いにのらないくせについて来る関口に、涼子は苛立ち再び迫ろうとする。
女の襟元から白い胸が覗いて、関口はやはり見てはいけないと思い女の腕から逃れる。
→先程よりも大胆に迫る涼子に、関口はもはやどうしてよいかも分からず逃げ出す。作品の最後の辺りで恋文は涼子が持っていたと分かるので、この時関口は恋文を置いて逃げたのかな。
*****
涼子と出会って起きた一連の出来事は、関口にとって今まで経験したことのない異常事態で、おまけに託された恋文も放り出すように逃げてしまった。あの少女が友人の思い人だとしたら自分は何てことをしてしまったのだろう。すっかり鬱状態になった関口はあの日の出来事をタブーとして封印した。
そして月日が経過し涼子と再会した関口は封印した記憶が徐々に蘇るのだが、脳が造り出した仮想現実と現実がない交ぜになってしまい、自分が涼子を犯してしまったのではないかと錯覚したのではないかと。
だって涼子は関口に対して「自分を性的虐待にあわせていた菅谷から救いに来てくれた人」という認識を持っていたもの。もし関口に犯されていたら、そんなふうに思ったりしないだろうし、自分の誘いにのらなかったことで「この人なら……」と一縷の希望が生まれたんじゃないでしょうか。
だから涼子も恋文の返事を送って、あの夜に待ち合わせをした。きっと関口が来てくれると願って。
だけどそんな日は訪れなかった。やがて涼子は不運と古い因習にのみ込まれていってしまう。それでも生きていかなくてならない涼子は、新たな人格を造り出して耐え続ける。
自分が自分でなくなる時間が増えていく恐怖。涼子はあの日からずっと関口を思っていたのでしょうかねえ。いや、ただただ我が子を慈しむ「普通」の母親になりたかったのでしょうか。
まあ、これもひとつの考えというコトで。受け取り方は人それぞれだ、と京極さんも明確な答えは出していないそうですし。
最後に作中の言葉を引用。
涼子
──私はあの夜あなたを待っていたのです。
──私を──助けてください。
──本当の私は、今の私です。
関口
本当のあなたは誰なのですか。
私は何をすればいいのですか。
私はあなたに何をしたのですか。
「おかあさん」
PR
日替ほとがら
最新記事
(01/01)
(11/10)
(11/07)
(11/06)
(04/08)
(11/22)
(10/23)
カテゴリー