応援団やサムライうさぎについて。あとはアニメ三国演義の歪曲感想とか。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
いま私におさかなクンの波が来ています嘘です。
ところでおさなかクンじゃなくて正式名称(?)はさかなクンだったのですね。世間もさかなクンと呼んでいる。
でもそれを知って私はキレたね。本人が自身をさかなクンと言うのはいいけど、世間は「お」をつけろよデコ助野郎!!!! おさなかクン閣下でもいいくらいじゃ。ええ、べつに本気で怒ってないですけど。
それはそうと私は以前に、おさかなクンって人間の出来た素晴らしい人じゃないかと思ったことがあります。おさかなクンが多感な時期の子供達に向けた、あるメッセージを読んだ時に感動したのです。有名かもしれないけど以下に引用します。
(引用開始)
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
(引用終わり)
専門分野の魚に絡めて子供にも理解しやすい文章になっていますよね。そしておさかなクンが言うからこそ、大人の押し付ける「いかにも」な教訓話に聞こえず、こちらも構えることなく心に染み入るメッセージになっている。またいじめっこを一方的に責めるでもなく、いじめる方いじめられる方の双方が小さな社会に閉じ込められたことによる、ストレスが原因の被害者であるとおさかなクンは考えているのです。まさに大きな海のような心を持った男ではないですか。
どうですか? おさかなクンに対する見方が変わりません?
私はすっかり変わりました。だから私の中では「さかなクン」ではなく、やはり「おさかなクン」なのです。でも心のどこかで「イサキはとれたの?」がチラつくマチカさんは心の穢れた大人なのさ。ヘヘッ……。
ところでおさなかクンじゃなくて正式名称(?)はさかなクンだったのですね。世間もさかなクンと呼んでいる。
でもそれを知って私はキレたね。本人が自身をさかなクンと言うのはいいけど、世間は「お」をつけろよデコ助野郎!!!! おさなかクン閣下でもいいくらいじゃ。ええ、べつに本気で怒ってないですけど。
それはそうと私は以前に、おさかなクンって人間の出来た素晴らしい人じゃないかと思ったことがあります。おさかなクンが多感な時期の子供達に向けた、あるメッセージを読んだ時に感動したのです。有名かもしれないけど以下に引用します。
(引用開始)
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
(引用終わり)
専門分野の魚に絡めて子供にも理解しやすい文章になっていますよね。そしておさかなクンが言うからこそ、大人の押し付ける「いかにも」な教訓話に聞こえず、こちらも構えることなく心に染み入るメッセージになっている。またいじめっこを一方的に責めるでもなく、いじめる方いじめられる方の双方が小さな社会に閉じ込められたことによる、ストレスが原因の被害者であるとおさかなクンは考えているのです。まさに大きな海のような心を持った男ではないですか。
どうですか? おさかなクンに対する見方が変わりません?
私はすっかり変わりました。だから私の中では「さかなクン」ではなく、やはり「おさかなクン」なのです。でも心のどこかで「イサキはとれたの?」がチラつくマチカさんは心の穢れた大人なのさ。ヘヘッ……。
PR
日替ほとがら
最新記事
(01/01)
(11/10)
(11/07)
(11/06)
(04/08)
(11/22)
(10/23)
カテゴリー