応援団やサムライうさぎについて。あとはアニメ三国演義の歪曲感想とか。
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今週はWJがお休みです。よってサムライうさぎでハァハァ出来ないので、自家発電じゃい。みんなも、するとイイよ! それでマチカさんに教えてあげると喜ぶ、と取り扱い説明書に書いてあるよ。
まぁ、江戸時代の風俗に興味のある方も、よかったらドウゾ。
さて。某所で、見かけた一文。
「鳳の過去は、女形ではないのか」
近年これほどマチカさんの心を震わせた考察があったでしょうか。
……あったかもしれない。
それはそうと、この考察が広大なネットの海で産声を上げた時、まだ流人の過去はさほど明かされていませんでした。その後、彼等はごく幼い頃に拾われて、身を寄せ合って暮らしていたことが判明したので、この説は海の藻くずと消えてしまうかに思えたのですが、せっかくなので彼の過去を「女形」から派生させて、妄想してみたいと思います。
あらかじめのお断りとして、少年の売春に関した内容になりますので、嫌悪感を抱く方はお読みにならない方がよろしいかと。そして江戸時代の性風俗のお話も、完璧に調べているワケではないので、間違いもあるコトをご了承くださいませ。
では、参りましょうかね。
御存じでしょうが、女形とは舞台で女の役を演じる男性のことです。なぜ男が女を演じるようになったかは、過去の日記で鼻息も荒くご紹介しておりますので、これまた興味のある方はドウゾ。
で、江戸時代、舞台の女形は飛び切りの美少年であり、その美しさでもって老若男女を熱狂させておりました。そして女形の中から、後々「陰子(かげこ)」「色子」と呼ばれ、春をひさぐ少年達が現れました。彼等は修行の傍らで色を売る存在として、江戸時代に登場したのです。
陰子は舞台に上がらず、ちゃんと舞台でお芝居をする子は「舞台子」と呼ばれておりました。一応こちらは色を売ることはなかったそうですが、その辺りの線引きは、結局はあやふやだったのではないでしょうかねぇ。
それから時代は進んで、そのうち舞台関係なしに売色を専門にする少年が登場しました。娼婦ならぬ男娼で「陰間」とも呼ばれていたようです。
そこで誕生したのが、年端も行かない年頃の男娼を取りそろえた「陰間茶屋」。彼等はそこで、遊女のようにお茶屋で客を取っていたのです。
陰間茶屋は江戸に、いくつか散在しており、十か所ほどあったそうです。最盛期には200人以上の男娼がいたそうですから、華やかですわね。
もちろん彼等は好きこのんで陰間になるワケではございません。親に売られたか、かどわかされて売られたのか。それぞれ悲しい身の上で──それでも生きていくために、客を取るのです。
なので江戸の陰間といえども、実は遠くから売られて来た子も数多く、中でも上方が一大供給源だったとか。そして上方からやって来る彼等は「下り子」と呼ばれておりました。都辺りから下ってくるので、下り子。本当か嘘かは分かりませんが、江戸の少年は気性が荒いので、女装させてもしとやかさが足りない、という理由で下り子の方が人気があったとか。それに元々役者が色を売る、という文化(?)が発祥したのは、上方だったそうです。そして上方では客の取り方のシステムも、ちょっと違う。こちらは出張していたようですよ。
そんな彼等ですが、今日から陰間になって、明日から客を取れるかというと、そういうワケにもまいりません。陰子は男性の客も取るので、受け入れる下準備が必要です。ならす、と言い換えてもいいかもしれませんね。
準備の手順を詳細に記した本なども残っているようですが、今でいうマニュアル本でしょうかね。どんな内容なのか書くと、本当にアレなのではぶきますけど、まことに過酷な手順です。今こんなコトをすれば一発でお縄でしょうね。だって11.2歳の子供に仕込んでいくのですもの。
余談ですが陰間の寿命は短く(実際の年齢じゃないよ)二十歳ぐらいになれば卒業していたようです。あくまで商品として価値があったのは、少年なのです。11歳から14歳までが蕾で、15から18までが花盛り。そして19や二十歳は散る花であると、例えられてもおりました。この頃の少年はまだ大人の男になりきっていません。いわば中性的な存在として愛されていたんですね。遊女のように身請けされる者も中にはいたようですが、本当に特殊な例だったみたいです。遊女だって、みんな身請けされるワケじゃないしね。
また性の仕込みの他にも、将来を見込まれた見目麗しい少年などは、それはもうじっくりと育てられます。遊女でいう「禿(かむろ)」みたいなものでしょうか。肌が白くきめが細かくなるような、お手入れ法なんかもあったようです。今の時代と一緒で、肌の美しさは大きな魅力だったんですねぇ。
と、長々と書きましたけど話は戻って、ようやく鳳君の過去の考察を。
幼い頃から、美しかった鳳君。けれどおうちは貧しく、その日暮らしの生活。そんな時に「おたく生活苦しいんでしょう? この子は色も白いし、大層きれいな顔なんだから役者にしてみないかい。私に託してくれたら、知り合いに紹介してあげようじゃないか」とお金をちらつかせて言われたとすれば。
かくして売られた鳳君は、故郷を離れて遠い江戸の地に。それでも「役者になって成功すれば、よい暮らしが出来るのだろう」と、そこはかとなく淡い期待をしていたのですが、本当は春をひさぐ陰間として買われたのだとすれば。
嗚呼、彼の悲嘆やいかほどか。苦痛でしかない性技をしこまれる日々。しかし生まれついての美貌は磨かれて、匂い立つほど艶やかに育ち、商品として完成されて行ったのだとすれば。
それはもう美しい陰子になったでしょうなぁ。上級遊女を指す言葉で「国の君主を骨抜きにして、滅ぼすほどの美しさ」で「傾城」とも呼びますが、きっと鳳君も傾城クラスですタイ。
しかし花の旬は過ぎ、陰間茶屋からおっぽり出された鳳君。そしてやさぐれている時に、流人達にあったのさ。
また鳳君の特徴として、両肩から腕にかけた入れ墨が目立ちますよね。これは商売道具だった自らの肌に入れ墨を施すことにより、忌わしい過去と決別したかったのではないでしょうか──。
フッ……フハハ! どうですか。妄想フルスロットルで考察してみましたよ。既に否定されているけど、そんなこと気にしない。ていうか、こんな過去エピソードを少年少女の読むジャンプで出来るハズもないワケですが。
でも作者のてっつんが、もし青年誌で連載してたら、やってくれそうな気がするんよな。ほのぼのエログロ路線みたいな。
そんなジャンルがあるかどうか知らないけどネッ。
まぁ、江戸時代の風俗に興味のある方も、よかったらドウゾ。
さて。某所で、見かけた一文。
「鳳の過去は、女形ではないのか」
近年これほどマチカさんの心を震わせた考察があったでしょうか。
……あったかもしれない。
それはそうと、この考察が広大なネットの海で産声を上げた時、まだ流人の過去はさほど明かされていませんでした。その後、彼等はごく幼い頃に拾われて、身を寄せ合って暮らしていたことが判明したので、この説は海の藻くずと消えてしまうかに思えたのですが、せっかくなので彼の過去を「女形」から派生させて、妄想してみたいと思います。
あらかじめのお断りとして、少年の売春に関した内容になりますので、嫌悪感を抱く方はお読みにならない方がよろしいかと。そして江戸時代の性風俗のお話も、完璧に調べているワケではないので、間違いもあるコトをご了承くださいませ。
では、参りましょうかね。
御存じでしょうが、女形とは舞台で女の役を演じる男性のことです。なぜ男が女を演じるようになったかは、過去の日記で鼻息も荒くご紹介しておりますので、これまた興味のある方はドウゾ。
で、江戸時代、舞台の女形は飛び切りの美少年であり、その美しさでもって老若男女を熱狂させておりました。そして女形の中から、後々「陰子(かげこ)」「色子」と呼ばれ、春をひさぐ少年達が現れました。彼等は修行の傍らで色を売る存在として、江戸時代に登場したのです。
陰子は舞台に上がらず、ちゃんと舞台でお芝居をする子は「舞台子」と呼ばれておりました。一応こちらは色を売ることはなかったそうですが、その辺りの線引きは、結局はあやふやだったのではないでしょうかねぇ。
それから時代は進んで、そのうち舞台関係なしに売色を専門にする少年が登場しました。娼婦ならぬ男娼で「陰間」とも呼ばれていたようです。
そこで誕生したのが、年端も行かない年頃の男娼を取りそろえた「陰間茶屋」。彼等はそこで、遊女のようにお茶屋で客を取っていたのです。
陰間茶屋は江戸に、いくつか散在しており、十か所ほどあったそうです。最盛期には200人以上の男娼がいたそうですから、華やかですわね。
もちろん彼等は好きこのんで陰間になるワケではございません。親に売られたか、かどわかされて売られたのか。それぞれ悲しい身の上で──それでも生きていくために、客を取るのです。
なので江戸の陰間といえども、実は遠くから売られて来た子も数多く、中でも上方が一大供給源だったとか。そして上方からやって来る彼等は「下り子」と呼ばれておりました。都辺りから下ってくるので、下り子。本当か嘘かは分かりませんが、江戸の少年は気性が荒いので、女装させてもしとやかさが足りない、という理由で下り子の方が人気があったとか。それに元々役者が色を売る、という文化(?)が発祥したのは、上方だったそうです。そして上方では客の取り方のシステムも、ちょっと違う。こちらは出張していたようですよ。
そんな彼等ですが、今日から陰間になって、明日から客を取れるかというと、そういうワケにもまいりません。陰子は男性の客も取るので、受け入れる下準備が必要です。ならす、と言い換えてもいいかもしれませんね。
準備の手順を詳細に記した本なども残っているようですが、今でいうマニュアル本でしょうかね。どんな内容なのか書くと、本当にアレなのではぶきますけど、まことに過酷な手順です。今こんなコトをすれば一発でお縄でしょうね。だって11.2歳の子供に仕込んでいくのですもの。
余談ですが陰間の寿命は短く(実際の年齢じゃないよ)二十歳ぐらいになれば卒業していたようです。あくまで商品として価値があったのは、少年なのです。11歳から14歳までが蕾で、15から18までが花盛り。そして19や二十歳は散る花であると、例えられてもおりました。この頃の少年はまだ大人の男になりきっていません。いわば中性的な存在として愛されていたんですね。遊女のように身請けされる者も中にはいたようですが、本当に特殊な例だったみたいです。遊女だって、みんな身請けされるワケじゃないしね。
また性の仕込みの他にも、将来を見込まれた見目麗しい少年などは、それはもうじっくりと育てられます。遊女でいう「禿(かむろ)」みたいなものでしょうか。肌が白くきめが細かくなるような、お手入れ法なんかもあったようです。今の時代と一緒で、肌の美しさは大きな魅力だったんですねぇ。
と、長々と書きましたけど話は戻って、ようやく鳳君の過去の考察を。
幼い頃から、美しかった鳳君。けれどおうちは貧しく、その日暮らしの生活。そんな時に「おたく生活苦しいんでしょう? この子は色も白いし、大層きれいな顔なんだから役者にしてみないかい。私に託してくれたら、知り合いに紹介してあげようじゃないか」とお金をちらつかせて言われたとすれば。
かくして売られた鳳君は、故郷を離れて遠い江戸の地に。それでも「役者になって成功すれば、よい暮らしが出来るのだろう」と、そこはかとなく淡い期待をしていたのですが、本当は春をひさぐ陰間として買われたのだとすれば。
嗚呼、彼の悲嘆やいかほどか。苦痛でしかない性技をしこまれる日々。しかし生まれついての美貌は磨かれて、匂い立つほど艶やかに育ち、商品として完成されて行ったのだとすれば。
それはもう美しい陰子になったでしょうなぁ。上級遊女を指す言葉で「国の君主を骨抜きにして、滅ぼすほどの美しさ」で「傾城」とも呼びますが、きっと鳳君も傾城クラスですタイ。
しかし花の旬は過ぎ、陰間茶屋からおっぽり出された鳳君。そしてやさぐれている時に、流人達にあったのさ。
また鳳君の特徴として、両肩から腕にかけた入れ墨が目立ちますよね。これは商売道具だった自らの肌に入れ墨を施すことにより、忌わしい過去と決別したかったのではないでしょうか──。
フッ……フハハ! どうですか。妄想フルスロットルで考察してみましたよ。既に否定されているけど、そんなこと気にしない。ていうか、こんな過去エピソードを少年少女の読むジャンプで出来るハズもないワケですが。
でも作者のてっつんが、もし青年誌で連載してたら、やってくれそうな気がするんよな。ほのぼのエログロ路線みたいな。
そんなジャンルがあるかどうか知らないけどネッ。
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