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応援団やサムライうさぎについて。あとはアニメ三国演義の歪曲感想とか。

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 不覚。
 新聞のテレビ欄見たら「CSI4」の文字が! いつの間にかシーズン4が始まってた。見逃してたァァ。口惜しいのう。
 ところで今回の放送では、コスプレにまつわる事件を扱っていた。動物の着ぐるみや仮面をかぶって、動物になりきる人達が出て来るのね。彼等は今の自分に満たされないものを感じており、自分ではない何かに変身して集会を開いている。中にはその姿に性的な興奮を覚え、はては行為に至る……みたいな流れ。
 そこで捜査官のひとりが「動物の格好をしてセックスするなんて(その姿に欲情するなんて)異常よ」と呆れる。すると科学捜査班主任であるグリッソムが「この世で一番異常なセックスとは何か。それはセックスをしないこと。これはフロイトの言葉だ」と返す。
 このくだりで何か思い出しませんか?

 そう、サムうさのごっちんと志乃です。彼等は夫婦であるにも関わらず、そして肉体的に性交可能であるのにセックスをしない。
 ごっちんは奥手だし、志乃も天真爛漫ではあるのですが基本は受け身な性格なので、なかなか進展しないというのもあると思います。でも禁じられているわけでもないし、まして自分達でセックスしないよ、と誓っているワケでもないので明確な障害はないわけです。
 おそらく一線を超えられない理由は「ただ何となく」なのではないでしょうか。

 その何となくの根底にあるものはとは一体。
 ごっちん側から考えてみるに、上でフロイトの言葉が出て来たので、ここは氏の提唱した理論であるエディプスコンプレックスなんかこじつけてみると面白いかもしれません。この理論に批判てんこもりなのは承知の上だけどね。そして詭弁に過ぎないので「ちゃんとした」ツッコミをされると、マチカさんが涙目になるので、論旨の迷走や破綻など気にせずオヤツ感覚で読むといいよ!

◆エディプスコンプレックスとは
(以下wikiから引用)
 自我発達の途中の段階において男児の自我は、もっとも身近な存在である母親を自己のものにしようとする欲望を抱く。同時に、その母親が受け入れている父親の存在に気づき、自己を父親に同一化させる。しかし、自我の発達が更に進展すると、男児の自我は、母親の所有において、父親は競争相手あるいは敵であるという認識を抱く。このようにして、父親と同一化した自我と、父親を敵視する自我の二つの位相が生まれ、自我は葛藤に直面する。
 この際父親に去勢されるのではないかという不安から、近親相姦的欲望は抑制され、自我は葛藤を脱する。そしてその結果としてかつて父親に同一化していた自我の成分を無意識下に置き「自我の理想形」すなわち「超自我」とすることで、男児の心理は発達するとされる。(引用おわり)

※エディプスとはギリシャ神話の、悲劇のオイディプス王が元になっています。彼は幼い頃に捨てられ、自分の本当の父母を知らなかった。やがて時は流れ、成人したオイディプスは偶然出会った男を殺し、その国の王女を妻とするのですが、実は殺した男は父で、妻となった王女は生みの母だった。のちに真実を知ったオイディプスは、自らの両目を潰し世界をさまよいます。

◆男児は閉じた世界の夢を見る
 男の子はお母さん大好き。だから一人占めにして、お母さんとふたりっきりになりたい。でも独占するには父親が邪魔になる。やがて男の子は父親に敵対心を抱き排除したいと思う。ですが男の子にとって、父親は強大な力と権威の象徴である存在です。敵対しても到底かなわない。そう理解すると今度はその存在に近付こうとします。
「よし、ボクもお父さんみたいな人間になろう」
 この葛藤を3歳から5歳の間に体験するといいます。それから男の子は葛藤を克服して、男(社会における父親という存在)に成長してゆく。肉体的精神的に父親を乗り越えてこそ一人前の男です。
 ただこれは父親の権威の強い家庭(社会)でなければ通用しない理論ですよね。母親に対する男児の甘えを厳格さでもって断ち切り、葛藤を与え、やがて社会の規範まで導ける断固たる存在が父親として機能する特殊な社会の話。
 そんな父親の権威が強い社会といえば、強烈な家父長制が数百年続いた江戸時代の武家社会。だからごっちんは当てはまると思いねえ。

◆失われた自我の理想形
 ごっちんは早くに父親を亡くしています。父親の墓前で泣くごっちんは何歳ぐらいでしょうか。しかも父親は理不尽な(ちょっと情けない)理由で切腹させられています。おまけに兄まで同じような末路を辿った。
 あんなふうになりたくない。それが志乃に出会うまでは常に意識下にあり、行動原理(自我)になっています。自我が父親との同一化を拒絶しているのです。
 もし目指すべき父親(自我の理想形)であれば、こんなことにはならなかったでしょう。(当然ごっちんはお父さんを好きだったと思います。でも、これは好き嫌いとは別の観念)本来なら歩むべき段階の前で足踏みしているような状態で嫁をもらっても、ごっちんは成長出来ていない子供のままなのです。嫁をもらったからといって即男になれるワケではないのだ。
 だから何となくセックス出来ない。

 そんなごっちんの前には、力と権威の象徴。そして何よりも厳格で規範的な存在が登場しましたよね。そうです。あの方です。よーし、みんな声を合わせてその人の名前を呼んでみようか〜
 せーの。
 清木様ぁ。
 ……あれ?声が聞こえなかったよ?

◆清木様という脅威
 清木様はごっちんにとって忌わしい奴です。何しろ清木様がいる限り、志乃とキャッキャウフフな生活が送れないのですから。
 でも表面上は適当にごまかしつつ、仲睦まじく暮らす方法はいくらでもある。けれどごっちんは逃げも隠れもせず、清木様と対峙する。
 それは何故か。
 もうお分かりですね。
 憎たらしい清木様は(アレでも)武家社会で「かくあるべし」とされた理想形の人間なのだ。そこから逃げては己が立ち行かない。ごっちんが成長するためには、清木様は避けて通れない壁なのです。だから、あえて武家社会の枠組みから離れず、清木様の土俵に立って勝負する道を選んだ。

 よってごっちんが志乃とのセックスフラグの立つ条件とは、清木様を肉体的精神的共に乗り越えるコトと言っても過言ではないでしょう。(※言い掛かりだよ)

◆こじつけも佳境に入ったところで
 ある疑問が出て来ます。最終羽のひとつ前の話で熱い抱擁をしたふたりは、あの後セックスしているのではないか?と。妙に暗示的な空白のコマもあったねえ。
 別に清木様に勝ってないけど、お互いの存在を認め合い晴れて夫婦になれたように見えます。
 たしかによき夫にはなれたでしょう。でもあれは伴侶としての魂の交わりです。
 そして更に言うのなら、この手の安心感や癒しを与えるのは「母親」の役割なのです。いわゆる母性。
 違うよー。ごっちん、そっちじゃないよー。じれったいよー。
 というワケであの段階では、武家社会における男には未だ至れていないのでセックスしとらんと思う。

◆それで結局
 ごっちんは清木様との試合に向かいます。良き夫婦となった上で、ごっちんが男となるための通過儀礼が待っているからです。何よりもセックスフラグを立てるためにッ!
 かくして赤マル特別編で、ごっちん率いるうさぎ道場の勝利が判明します。もちろんごっちんも清木様に勝ったはず。だってミツキという子宝に恵まれていますもの。なったんだよ、男に。いやはや、めでたいなあ。

◆おわりに
 ごっちんと清木様の関係。それは擬似的な親子であったと思います。
 ごっちんの前に、最後は自覚的に立ちはだかった清木様(鰐ぶっさんに試合させろと言ってたからね)。憎むべき脅威、乗り越えるべき存在。ごっちんの喪失した父の姿が、そこにはあるではないですか。
 また15歳になったミツキの暮らす社会は、連綿と続いた武家社会が崩壊しているようです。
 その終焉をもたらした最後の父と子。子は葛藤を脱し、社会すらも変えた。なぜなら父よりも更なる高みである月を目指していたのですから。
 盲いたオイディプスの目にも、いつか月が映る日の来ることを願わずにはいられません。

 と、つらつら書いてみましたが、あくまで与太話。でもこれだけは譲れぬ持論がございます。いえ真理と申し上げましょう。

 何だかんだ言っても、清木様は鰐ぶっさんの嫁であると。

 ああ、清木様は美人やなあ。鰐ぶっさんはおっとこまえやなあ。人も羨むカップルやで。
 妬けるがな。おいちゃん悶絶するがな。もう、どないしよ。がはは。

 サムうさ界の裏夫婦をマチカさんは応援しています。
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